起きて半畳寝て一畳

私が4年間住んだマンションの一階部分はずっと、貸し出されていない倉庫のような開かずの間になっていました。
他の階とは入り口も別で、半地下みたいになっててベランダも無い。
何の為に作られたのか謎の部分でした。

そこがある時期駐車場に改装されるべく一掃されたのですが、その時伽藍洞になった中を覗いてみて、驚きました。狭くて。
いや、私が住まいとしている部屋と同じ広さなんですよ。
でもただの箱状になったその空間の面積のあまりの狭さに、3度見くらいしました。ほんとに狭くて。
思わず建物の構造を確認しましたからね。
あれ、上にしたがって大きくなる建築だったかなって。
そんな訳ないんですけど。
それくらい小さい。

確かに私の部屋は狭いです、ひとり暮らしには十分ですがふたりだと狭い、というくらい。
でも私はそこで毎日お料理をして、友人たちとお酒を飲んで食事をして笑い語り、大きめのベッドで眠り、 何より広い作業机でカセ巻きをした沢山の糸を広げ、製作をしていました。

伽藍洞の小空間を見つめながら、その私の生活全てを思い浮かべて当てはめてみましたが到底当てはまるとは思えず、まるで「楽しい時を過ごしたはずの場所へ戻ってみたらそこはただの空き地だった」とかそんなお伽噺?怪談?の主人公のような気分になりました。
そして、もしかしてこれはちょっと幸せな話ではないか?と思ったんです。
だって逆だったら嫌ですよ。
こんなに広い空間なのにどうして私は毎日あんなに窮屈な気持ちなの?って。

欧米の方が見たら気が狂いそうに小狭い空間で、私は毎日本当に豊かでゆったりした気持ちで日々過ごしました。
借住まいとはいえ、安らぎと創造の大切な棲処であり、それこそ実際の面積をはるかに超える無限の空間を作っていたのだと実感した瞬間でした。

「心には枠がなくどこまでも自由でどこまでもいける」ということ。
どこで暮らすかよりも大事なことがもしかしてあるのかも。

こんな形で何かを実感するとは思いませんでしたけどね。
工事の粉塵がすごくてしばらく洗濯物が干せず困惑していましたが、忘れました。

ありがとう改装工事。
ありがとう自由な心。
でもやっぱり畑付き一軒家に憧れる、それもまた人間。

そんな住まいからこのたび引っ越ししました。
今度はもっと町の中で、やっぱり狭いですが、緑の近いとても良いところ。

       (目の前の池の亀…と思ったらかたっぽスッポンでした)

これからも自由な心で、無限の創造の可能性を探っていきたいと思いを新たにする春です。